大村河村

めちゃくちゃ久しぶりの更新だ
少し前に話題になっていた、愛知県のリコール問題。様々な不正が明らかになっているわけだが…今回は「そもそもなぜ、大村知事と河村市長は敵対してしまったのか?」についてを紹介してみよう。
2人はかつて仲が良かったという声もあるわけだが。


先ずは、2010・2011年頃の報道を見てみよう。
河村たかし市長が愛知県知事選で自民大物擁立目指す(10/10/15) (ANNnewsCH投稿)

当時は民主党所属の河村氏、自民党所属の大村氏。党は違えど何度も対談などをして気が合っていたそうで、河村氏の方から大村氏へ知事選に出てみないかと薦めていたようだ。

名古屋市長に河村氏 愛知県知事は大村氏 市議会、リコール成立し解散(日本経済新聞 2011年2月6日)

愛知・名古屋一体を早速アピール 大村知事、市長を訪問(朝日新聞 2011年2月16日)
当選後もしばらくは、対談し会食するなど仲の良い姿を見ることができた。

ともに会見する河村たかし氏と大村秀章氏 名古屋トリプル選挙(朝日新聞 2011年2月7日投稿)



このように仲の良かった大村氏と河村氏。だが、2人が不仲になったきっかけが2012年に起こる。
大村知事「中京維新の会」設立表明 河村氏は反発(日本経済新聞 2012年8月10日)
大村氏の作った政治団体「中京維新の会」にて、大阪維新の会(当時はまだ「日本維新の会」は作られていなかった)との連携をしようと試みたのだ。
しかし河村氏は知らされずに作られた政治団体ということでこれを裏切り行為と考えて反発し、以降は大村氏と河村氏は不仲になってしまったのだ。

これが、後に大規模不正リコールへと発展する、大村氏と河村氏が仲が悪くなった理由である。それにしても、大村氏は維新と協力しようとした結果河村氏と不仲になったのに、今回のリコール騒動では維新はリコール賛同派となっているというのは、なんとも不思議な話である。維新のこの行動についてはさすがに理由は分からなかったが。

久しぶりの更新の割にはかなり短い記事だけど、すいません。